気ままな猫の日記

その日の出来事だったりを気ままに不定期に綴るブログ

愛の考察──誰も死ななくていい編──

あなたは決意で満たされた

 

「誰も死ぬ必要が無いRPG」というキャッチコピーで知られるゲーム、UNDERTALE

TwitterやLINEのアイコンにするくらい好きなゲームである。

 

 

 

さて、このゲーム、キャッチコピーの通り戦闘システムがあるにも関わらずモンスターを殺す必要がない

 

「たたかう」「こうどう」「アイテム」「みのがす」という四つのコマンドがあり、「こうどう」でモンスターと会話して戦意を失わせ、「みのがす」で見逃してやる、というのがザコ戦だけでなくボス戦でもできる

 

初めは主人公の人間の魂を狙って襲いかかるモンスターたちも、話せばイイヤツばかり

モンスターの世界に迷い込んだ主人公の手助けをしてくれるのである

この辺からして既に愛に満ち溢れたゲームシステムと言えるが、実際プレイすると微妙なところである。(エンディングの中には皆殺しルートなるものが存在する故…)

 

 

しかし1人だけ、モンスターの王だけは見逃したり、逃げ出したり出来ないのである

 

そもそもなぜ彼らが人間の魂を求めるのか

それは、はるか昔に人間達が作った、モンスターを閉じ込める結界を解くのに必要だからである

 

王様だけは一筋縄では行かない…と覚悟を決めて玉座へ向かう主人公

そこで出会うのは花に水をやる、優しい顔つきのモンスターだった

自らも心の準備ができていない、と語る王様は、俯いたまま襲いかかってくるのである

 

 

この王様は彼が治める国の住民を愛しているために、主人公を殺めんとするのである

彼の決意は生半可なものではないだろう

 

 

 

 

他にもキャラクターの愛を感じる場面は沢山あるが、語っているときりがないためこの辺にしておこう

今回紹介したUndertaleは、愛する者のために戦う、というカタチの愛があった

愛の考察 ──はじめに編──

愛ってなんだろう

 

家族愛、友愛、隣人愛、恋愛…

「愛」と言っても色々ある

 

それぞれ違うものなのか?

実は同じものなのか?

 

何をもって愛していると言うのか

どんな行動に愛があると言うのか

 

 

何故こんなことを考え始めたのか

きっかけはアイコンに使っている画像である

黒い背景に赤いドットのハートとYou are filled with determination.という文

とあるゲームを象徴する画像なのだが、このゲームには愛が満ちていると言える

 

と、同時に思い浮かんだふたつの愛に満ちたゲーム

自分の短い人生で出会ったこの三つのゲームを通じて、形無き「愛」について考えてみようと思った次第である。

雑記1

あー、そろそろブログ書くか〜 

でも何書こうかな…

いい感じの文章にならないな…

ま、誰も求めてないか、整理せずに書いちまえ

 

という回です

 

今私は非常に憤慨しております

珍しくCHELSEA内でのことなのです

 

詳しくは端折りますが無能な先輩のせいで同期が精神的に追い詰められてる状態で、今日もやられてて

他にも後輩からいろんな話聞いて、自分でも見てて

 

係の仕事なんですがその係はその先輩と同期の2人だけ、自分が助けようにも動けないところで問題が起こってる

 

なんとか同期の気を紛らわす日々、当然怒りも募ります

そこに「どうしたの?なんか疲れてる?」は無いでしょう

誰のせいで疲れてるんだと

普通の精神状態ならそこまで気にならないでしょうが、結構憔悴していたのか決壊したようで、珍しくラインでSOSが飛んできました

 

その内容を知り、激怒してこうなった訳です

メノスは激怒した

 

管弦といい、CHELSEAといい、どうやらサークルに心穏やかに参加出来ない呪いでもかかっているようです

さて、明日の4役決めはどうなることやら…

 

雑記でした

ふと冷たい風が吹いた

 

 

 

 

気づけば彼岸花が咲き乱れ、金木犀の小さな花は嗅覚へその存在を訴えてくる

 

 

 

 

喉元をすぎた連日の猛暑が既に懐かしく

 

 

 

 

猫に布団を奪われる日々がまた始まる

 

 

 

 

夕暮れは秋の匂いを運び

 

 

 

 

なぜか胸が苦しくなった

泣いた赤鬼

泣いたところで何も変わらない

いたずらに時間が過ぎるのみ

ただ目の前のことにだけ夢中で

あいつの気持ちなど考えてもみなかった

かけがえのない「親友」は

おおくの「友人」と引換えに

にどと戻ることは無い

 

 

 

童話「泣いた赤鬼」は何を伝えたいのでしょう

 

青鬼はなぜ、赤鬼が悲しむような行動に出たのでしょう

 

 

 

 

 

これは自分の勝手な想像ですが、青鬼は「何もしない」ということができなかったのだと思います。

 

青鬼も同じ鬼、彼も人間に疎まれていたのでしょう、人間と仲良くなる方法など持ち合わせていませんでした。

しかしかけがえのない友人は悩み、苦しんでいる。

そんな彼を放っておくことはできなかったのです。

きっと青鬼は、赤鬼が悲しむことを知りながらあの行動に出たのでしょう。

彼の立場ではそれ以外に方法はなかったのでしょう。

 

しかしそれはただの自己満足。

自己犠牲が必ずしも美しいものではない、ということを伝えたかったのではないでしょうか。

 

 

 

 

それでも、私は青鬼の気持ちがわかるような気がします。

かけがえのない友人のためなら我が身を削ることだって厭わない。

当然痛いです。青鬼だって喜んで赤鬼のもとを去ったわけではないでしょう。

しかしただ見ているのはもっと痛い。

それがたとえ自己満足でも、何もしないなんてできません。

 

 

 

どうしようもなく自分勝手で、横暴で

そしてきっと、どうしようもなく不器用なんです。

薬物

実は随分前からはまっているものがある。

 

 

 

吸うだけで嫌なことをすべて忘れられる。

もはやこれが無くては生きていけないだろう。

 

 

 

中毒性があるのは理解している。

しかし向こうから寄ってくるのだ、吸ってしまうのは仕方の無いことである。

 

 

 

 

それに体に害はない。

人によっては命に関わることもあるようだが、俺は問題ない。

 

 

 

 

 

今日も猫の腹に顔を埋める。

帰宅

ブログを始めてみる

友人がブログをやっているのを見て、何やら面白そうだと、やってみることにしました。

マメな方ではないので不定期に書いていこうと思います。

 

本題

実のところブログのアカウントは随分前に作っていたのですが、何を書けば良いものか考えあぐねて放ったらかしになっていました。

 

 

そんな時です、うちの猫が帰ってきたのは

 

 

死期を悟った猫は飼い主の前から姿を消す、という話を聞いたことがあるでしょうか。

実際、うちでも以前帰ってこなくなった猫がいます。

いなくなった当初は「またお出かけかな」と思い、直に帰ってくるものと考えていました。

しかし日が経つにつれて「もしかして…」という予感が頭をもたげ、今ではあれはそういう事だったのだろうと理解しています。

 

 

そんな訳で、猫の姿が見えなくなってから3日ほどで半ば覚悟していました。

 

しかし、いなくなってから1~2週間ほどでしょうか、今朝方の事です、私の部屋にひょっこりやってきたではありませんか。

 

それはそれは驚きました。

 

昨夜は雷雨でしたし、余程心細かったのか仔猫のように鳴き続けて擦り寄ってくるその子は、ほとんど何も食べていなかったのでしょう、随分と軽くなっていました。

しかしそれでも生きて帰ってきたのです。これ以上望むことなどありはしません。

 

 

ちっとも離れようとしない猫を撫でながら、ブログのことを思い出して今に至ります。

 

これからもうちの子共々よろしくお願いします。