憎悪の掃き溜め
嫌いな人っていますか?
僕はいます
二度と顔を合わせたくないような人から、ふたりきりは辛いなっていう苦手レベルの人まで含めると数え切れないくらいいます
しかしどうやら僕の嫌いのキャパシティは決まっているようで、1度に「口も聞きたくない」以上の嫌いになる人数は限られています
そんなに器用な人間ではないので、多数への感情を維持出来ないんですね
なので新しく嫌いな人が出来ると、それまで嫌いだった人とそれなりに普通に付き合えるようになったりもします
その代わり、と言ってはなんですが嫌いな相手に関することは何もかも否定するようになります、たとえそれが理不尽であれ
案外これが心のバランスを保つのに一役買っていて、理不尽ながらも自身で黙認しています
これを合理的にしたのが宗教なんでしょうね
キリスト教なんかは絶対悪である悪魔が存在しますからね
しかしながら不器用な僕は、抽象的な何かではなく具体的な個人を憎むことで正負の感情をコントロールしようとしてしまうんですね
何が言いたいのかよく分からなくなってしまいましたが
こんな感じです
申し訳程度の罪悪感
駅を出てすぐ、植物が植えられているパネルを固定するためのレールにスタバのコップが置かれていた。
それを見て、道の端に立てられたペットボトル、電車の座席の下に置かれた空き缶、植え込みの中に詰め込まれたゴミが脳裏に浮かんだ。
考えてる事は分からなくもない
道の真ん中に捨てるのは罪悪感があるから、道の端、なるべく目立たないところに置いておこうという魂胆だろう
なんとも馬鹿げた話だ
本人は「道の真ん中に捨てるよりはマシ」と考えているのだろうが周りからしたら五十歩百歩である
それで罪悪感が薄まっているのも腹立たしい
端からゴミ箱に捨てれば罪悪感も持たずに済むというのに
人間関係でも似たようなことがある
「何も出来なくてごめんね」「いつもやってくれてありがとう」などがそれにあたる
言う側はメリットが多い
自分は申し訳ないと思ってる、感謝してるということを相手に伝えられるだけでなく、相手からは「大丈夫だよ」と返してもらえる
自分は何もしていないが考えてるし、相手もわかってくれて許してくれた、という「気分になれる」
言われる側を考えれば早い話
別に謝られたって感謝されたって自分の負担は何も変わらない(もちろん感謝しないのは言語道断だが、それはせめて終わってからにするべきだと思う)。
その上何を言われようと笑顔で「大丈夫、気にしないで」と答えるしかない
「言葉だけじゃなく手伝えよ」なんて言ったら嫌われること間違いなしだし、そんなことを言えるやつはそもそも仕事を抱え込まない
なお自分のようにひねくれきった人物ともなれば、なにか手伝おうか、すら禁句となるタイミングがある
仕事を割り振るのは簡単な事じゃない上、完成の道筋が見えた後にそれを言われると計画を立て直さなくてはならないため、むしろ面倒になることがあるからだ
身の周りには一定数、頼めば仕事を引き受けてくれる人がいるだろう
そんな人にこれからも仕事をしてほしいのなら、一緒に仕事をするか、申し訳程度の罪悪感を抱え続けるかした方がいい
愛の考察──まとめ編──
愛ってなんだろう
三つのゲーム(二つほどオマケではあったが)を見てきてなお、答えは出ない
まぁゲームだけで分かってしまっても興ざめではあるが
ここまでで少なくとも分かっていることは、愛にはどうやら様々な形があるらしい、ということだ
十人いれば十通りの愛の形
何に対する愛かも人それぞれだった
UNDERTALEでは王から民への、MOTHER2では母から子への、moonでは博士から謎への
これらは本当に同じ「愛」と言えるのだろうか?
愛ってなんだ、という問には誰も答えてくれない
両親も教えてくれなければ、学校でも教わらないし、当然辞書にも載ってない。
それは親が祖父母から教わってないのか、先生も知らないのか、辞書を作った人が知らなかったのか
あるいは言葉に出来なかったのか
きっとそれは生きていく中で見つけていくものなのだろう
これを読んでいる人がいつか、愛とは何かという問に対する答えを見つけたら教えてほしい
それが例え、言葉にはできない、というものだったとしても
最後に、moonのエンディング後に見られる製作者からのメッセージで愛の考察シリーズを終えようと思う
あなたのラブは見つかりましたか?
愛の考察──もう勇者しない編──
扉を開けて
さて、長らく放置していたこのシリーズをいい加減完成させようと思う。
最後に紹介したいゲームはラブデリックの「moon」である。
このゲームの主人公は、ゲームの世界に迷い込んでしまったあなた。
ついさっきまで動かしていたユウシャは、野生動物を殺していくキチガイ扱いされている
そんな中眠りにつくと、夢の中である女性に出会い、「私たちのところに来て、扉を開けてほしい」と言われる。同時に、それにはラブを集める必要がある、とも。
翌朝、スライムが殺される場面を目撃した主人公の元にムツジローなる人物が現れ、スライムは無害であったこと、殺された彼らを、さまよう魂を捕まえることで助けてあげてほしいことを伝えられる。
そうして主人公のラブを探す冒険が始まるのである。
そんな訳でこのゲームはラブを集めることが目的、という何とも変わったゲームである。
モンスターを助けたり、人助けをしたりはもちろんの事、住民の秘密を見てしまったり、梟の授業を受けたり、奥さんのへそくりを見つけたり…
とても個性的なキャラクターたち
彼らは普段は素っ気ないように見えて、ふとした時に優しさが垣間見える。
ある偏屈な博士に根気強く話しかけていると、夜に彼の夢について語ってくれる。
みんなには馬鹿げていると笑われても、夢を捨てるつもりは無いと語る博士は最後に、「これが私のラブである」と締めくくるのである。
ストーリーの途中、彼の指定する部品を集めて持っていくのだが、代替品を持っていく度に「鼻くそたれ スットコドッコイ パープリン」と罵倒するような人だったため、見直すというか、不思議な、でも嫌じゃない気持ちになったことをよく覚えている。(まぁ燃料と言われてスピリタス並の酒を持ってくる主人公もどうかと思うが)
他にもこんなのでラブが貰えるのか、というイベントが多数ある。
初めてこのゲームをプレイしたのは小学生の頃だったが、こんなのラブじゃない、と思ったこともある。
しかし、博士の言葉を聞いて、子供ながらにラブは人それぞれなのかと思ったものだ。
まだまだ語りたいことはあるが、それはまたの機会にしよう。
今回紹介したmoonというゲーム、このゲームの愛は、人それぞれの愛だろう。
次回はまとめ編。
管弦2年のみんなへ
まず初めに、「みんなへ」とは書いたが、これはざいとみく様以外のみんなへ、という意味合いが強い
俺が管弦を去る理由について、一切の誤解も招かないために今思っていることを全て書くつもりだから、もしかするとふたりが傷つくようなこともあるかもしれない
そしてもし傷ついたとしても俺は責任を負わない。読むのなら覚悟を決めて読んでくれ
そして他のみんなは右のスクロールバーを見てほしい
長いだろ?
別に読む必要は無い、言いたいことはLINEで言ってる
単に誤解を招きたくないのと、自分の気が済まないから
これを読んで貴重な時間が奪われたからと言って俺は責任を負わない。読むのなら覚悟を決めて読んでくれ
さて、本題に移ろう
みんなもう察してたよね
結構その素振りは見せてたつもりだから
ただ一つだけ、来年以降の話をしてしまったことは謝らせてほしい
普段の会話で言えるような事じゃなかったし、場の空気を壊したくなかった
本当に申し訳ない
ここからは辞めたいと思った原因についてダラダラ語っていこうと思う。ここも読むのやめるポイントだから、面倒になったら読むのをやめて構わない
しばらく愚痴が続くので、どうでもいいと思ったらラインが引いてあるところまで飛ばしてほしい
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原因は大きくわけて、先輩、時間、金銭の3つある。まぁきっかけは別にあるのだが
後ろの二つ、主に金銭は先輩の事があってのことだから、言ってしまえばだいたい先輩運が無かったことに帰結する
まぁご存知の通りチェロパの現3年生が嫌いなわけだが、嫌いになったきっかけから語ろうと思う。
始まりは1年の夏合宿、早いだろ?
最終日の朝、親睦の先輩が軒並み潰れてたからやらなきゃ行けないと思われることを自分で考えて済ませていった
最後に宿に借りてたグラスを返した頃にHさんが起き出してきたから終わったことの報告をしたら、開口一番「グラスは数えなきゃいけなかった」
ありがとうを言われたのはその大分後である
元々突然飯に連れていかれたと思ったら店の前で奢れない宣言しだしたり、音楽に口出してきたり(正しけりゃ聞くが…)と不信感が募っていたこともあり、この出来事は決定打となった。
それからも細かい腹の立つことがいくらもあったりした
Mさんに関しては今年度のはじめ、チェロ1年を連れてのご飯会がきっかけ
理科生はその特性上ビギナーで管弦に入るのは困難である
少なくとも入ってみたい、なんて緩い気持ちじゃすぐに辞めることになる
そんな話をしたところ、「やるかどうかはその人の気持ち次第」と返してきたのがMさんである
経験者の自分ですら練習できず、活動日は実験が被って出られない中、少なくともチェロパートに入るのは無理である。だって自主練前提だもん、うちのパート
その話を全休がゴロゴロ転がってるような学科のやつに否定されたくない
そんな中パー練が始まり、事件は起きた
相変わらず自主練前提のパート練習、CHELSEAの新歓もあり練習ができておらず、ついていけないことが多かった
難しいパッセージを過ぎた後、「弾けなかった人〜」と聞かれ、普段は黙ってやり過ごす所をこれ以上置いていかれても困るので素直に手を挙げた
それが間違いだった
「どこが弾けなかったか」「なぜ弾けなかったか」「弾けるようにするにはどうするか」「練習するというならいつするのか」
なぜ集中攻撃を受けているのだろうか
パート員の目の前で?
この時の気持ちは言葉にならない
みんなからすれば小さいことかもしれない
実際自分で書いてて小さいなって思ったこともある
でも、その当時はこの上なく嫌だった
だから、辞めたいと思ったんです
あとの二つ、時間についてはこれ以上いたくもないパート練習に出るよりもCHELSEAに専念したいから、小金井祭では二年続けてどっちも中途半端になっちゃったからね
金銭についてはこれに金払うの嫌だなってだけです
原因はこんな感じ
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さて、ここで1度なぜ誤解を生みたくないかを話しておこう
要はパートの2人に迷惑をかけないため
やめる宣言のタイミング的に原因となった出来事が勘違いされるかもしれない
だからここではっきりと言っておく
ふたりのことは管弦をやめる原因ではない
そもそもやめることを決意したのは7月末頃なので、付き合い出したのは全く無関係なのである
もちろん思うことがない訳では無い
付き合い出したのを聞いた時、やめるって決めといてよかったと思わなかったと言えば嘘になる
それに2人とも俺より気が利かないもんだから辟易することもある(二人でご飯行くんだけどって言われて付いてくやつがあるか!)
しかし2人がくっついたことはむしろ、やっとくっついたか、と安心した程だから、辞めるのとは関係ない
最後に二つほど、図々しいけどみんなにお願いしたいことがあります
一つ目は俺がやめるってことを誰にも言わないでほしいってこと
それなりに管弦っていう団体が嫌いだから、司会とか指揮者とか、どちらかと言うと中心にいた人が突然やめることで動揺すればいいって思ってる。イタチの最後っ屁だね
みんなに早めに伝えるのはせめてもの罪滅ぼしのつもり
二つ目は、本当に図々しいんだけど、
これからもサ棟に行くし、木曜日はN棟で練習するから、顔合わせた時は声かけてほしいし、かけさせてほしい
辞めていく分際で虫のいい話だけど、卒業するまではせめてそれ位の距離にいたいんです
ほかのパートのみんなとようやく喋れるようになったのに、と思う気持ちもあるけど、これ以上は心が持たなそう
一時期好きなチェロが弾けなくなるくらいダメにもなったから、限界なんだと思ってる
迷惑ばかりかけてごめんなさい
以上、管弦をやめる原因ときっかけでした
嘘はついてないはず、全部本心
短い間だったけどみんなと過ごした日々は楽しかったです
定演まであと一月、頑張りましょ
愛の考察──EDまで泣くんじゃない──
ネスは家が恋しくなった
名作MOTHERシリーズが好きな人にはキャッチコピーが違う!と怒られるかもしれないが許してほしい。MOTHER2の「おとなもこどもも、おねえさんも」はタイトルに使いづらいんです
という訳で今回はMOTHER2を見ていこうと思う
舞台はアメリカの田舎町
物語は静かな夜に隕石が落ちてくるところから始まる
意地悪な友人に誘われて隕石を見に行く少年ネスは、隕石に乗って未来からやってきたというカブトムシのような生物に悪の根源、ギーグを倒してくれ!と頼まれ、仲間となる残り3人の少年少女を探しながら旅に出る。
ストーリーはこんな具合である
そしてこのゲームにはユニークな状態異常が存在する。それが「ホームシック」である
先に電話の存在を語らねばなるまい。
このゲームでセーブするにはパパに電話する必要がある。同時にレベルアップに必要な経験値と、得たお金を教えてもらえるのだが、電話をかける先はパパだけではない。
ピザ(回復アイテム)を買えるピザ屋、道具の預かり屋と、家で待つママに電話することができる。
ママに電話するか、家に帰るかをせずにしばらく経つと、戦闘中に『ネスは家が恋しくなった』などのメッセージと共にネスが行動出来なくなる。
他にもゲーム開始時には主人公や仲間達の名前と共に、好きな献立とかっこいいと思うものを聞かれる。
かっこいいものはネスだけが覚える強力なPSI(他ゲームでいう魔法)の名前になり、好きな献立は家に帰る度にママが作ってくれる料理だったり、ふとした時に思い出す匂いになる。
またこのゲームの特徴として、敵を殺さない、というのがある
どの敵もギーグの悪意に当てられておかしくなっているだけであるため、倒すと「我に返った」り「おとなしくなった」りする。
機械などの無機物は容赦なく壊すが、生き物の命は奪わない
話が少しそれたが、このMOTHER2の愛はタイトル通り「母の愛」であろう
次回は本当に自分が愛のゲームとして紹介したいゲーム、「moon」を紹介する
終演
2018年度小金井祭が終了した。
終わった感想としては、達成感半分、悔しさ半分と言ったところだろうか
2日間合わせた空き時間が二時間ないのでは、というくらい走り回っていたこの学祭、それ自体は去年と大差ないのだが、思い入れが少し違った
去年は初めての学祭で、ジャグリングも始めたてで大したことが出来なかった一方、今年は勝手が少しはわかり、できる技も増えた
チェロも誘われるまま参加していた去年とは違い、自分がやりたい曲を自分から企画した
それだけにリハにちゃんと参加出来なかったり、直前に音出し、精神統一出来なかったのがとても悔やまれる結果になってしまった
もちろんやれるだけやった
しかしもっと考えて詰めておけばこんなに慌ただしくなく済んだのではないか、という気持ちもある
まぁ、どれも楽しかったからいいか
俺のわがままに付き合ってくれた皆さん、本当にありがとうございました