気ままな猫の日記

その日の出来事だったりを気ままに不定期に綴るブログ

申し訳程度の罪悪感

駅を出てすぐ、植物が植えられているパネルを固定するためのレールにスタバのコップが置かれていた。

 

それを見て、道の端に立てられたペットボトル、電車の座席の下に置かれた空き缶、植え込みの中に詰め込まれたゴミが脳裏に浮かんだ。

 

考えてる事は分からなくもない

道の真ん中に捨てるのは罪悪感があるから、道の端、なるべく目立たないところに置いておこうという魂胆だろう

 

なんとも馬鹿げた話だ

本人は「道の真ん中に捨てるよりはマシ」と考えているのだろうが周りからしたら五十歩百歩である

それで罪悪感が薄まっているのも腹立たしい

端からゴミ箱に捨てれば罪悪感も持たずに済むというのに

 

 

人間関係でも似たようなことがある

「何も出来なくてごめんね」「いつもやってくれてありがとう」などがそれにあたる

 

言う側はメリットが多い

自分は申し訳ないと思ってる、感謝してるということを相手に伝えられるだけでなく、相手からは「大丈夫だよ」と返してもらえる

自分は何もしていないが考えてるし、相手もわかってくれて許してくれた、という「気分になれる」

 

言われる側を考えれば早い話

別に謝られたって感謝されたって自分の負担は何も変わらない(もちろん感謝しないのは言語道断だが、それはせめて終わってからにするべきだと思う)。

その上何を言われようと笑顔で「大丈夫、気にしないで」と答えるしかない

「言葉だけじゃなく手伝えよ」なんて言ったら嫌われること間違いなしだし、そんなことを言えるやつはそもそも仕事を抱え込まない

 

なお自分のようにひねくれきった人物ともなれば、なにか手伝おうか、すら禁句となるタイミングがある

仕事を割り振るのは簡単な事じゃない上、完成の道筋が見えた後にそれを言われると計画を立て直さなくてはならないため、むしろ面倒になることがあるからだ

 

 

身の周りには一定数、頼めば仕事を引き受けてくれる人がいるだろう

そんな人にこれからも仕事をしてほしいのなら、一緒に仕事をするか、申し訳程度の罪悪感を抱え続けるかした方がいい